Introduction

想いは、
成長のエネルギー。

ー創業者・岸川良己と成和グループの足跡ー

岸川 良己の写真

代表取締役

岸川 良己

profile

1951年、佐賀県の海苔漁師の長男として誕生。
小学生のころ、隣りの熊本県水俣地域で発生した、工場廃水に含まれていた水銀汚染による環境破壊への恐ろしさを知り、水処理のエンジニアーを志す事になる。社会人として水処理設備の総合プラント会社へ入社し、国内外での多くの建設現場で水源開発や水の浄化と環境汚染対策に従事した後、国際経済協力事業や国連難民キャンプ救済チームの一員として、アジア、アフリカ地域での多くのプロジェクト等に参加して経験を積んだのち、1989年(平成元年)に独立。成和インターナショナル株式会社を設立し、代表取締役に就任、現在に至る。

実り豊かな、
有明海のそばで生まれ育つ。

有明海。海水が様々な命を育み、地域に生きる人々の生活を支え続けてきた。
岸川良己は、そんな地域で海苔漁を生業とする一家の長男として、この世に生を受けた。
今でこそ有明海の海苔は全国的に知られたブランド品であるが、当時は海苔と言えばすなわち浅草海苔。
しかし、東京湾の環境汚染により浅草海苔の品質劣化と生産量の激減に伴い、衰退の一途をたどっていた。
その代替となる有力生産地として、有明海での海苔養殖が広まっていった。
幼い岸川少年は、有明海苔が全国的なブランドになってゆく様を、家業を通じて見つめながら、すくすくと育っていったのだった。
いつかは自分も家業を継ぎ、この実り豊かな海を舞台に仕事をしていく未来を、当時はまったく疑うことはなかった。

叔父の会社を手伝いながら、
「事業」や「異文化」に触れる日々。
『公害』が、岸川の未来を
大きく変えた。

時折、岸川少年は叔父が営む電気工事業の仕事をアルバイトとして手伝うことがあった。それは、海苔漁(養殖)とはまた違う「事業」というものを体感する機会ともなり、叔父の会社が取り扱っていた輸入品のマニュアルに書かれた英語からは異文化に触れる機会ともなった。異文化経験と言えば、佐賀は米軍関係者がよく訪れる場所でもあったし、商船会社で一等機関士となった一番歳の若い叔父がプレゼントしてくれた海外のお土産品なども、岸川少年に影響を与えたかもしれない。
岸川少年が小学生のころ、彼の未来に大きな影響を与えた、ある悲劇に直面することとなった。「水俣病」である。水俣の工業地帯から排出されたメチル水銀が、地域で収穫される魚貝に蓄積され、それらを食べた人の脳や神経に障害を及ぼし、重篤な状態になると死に至る『公害』である。

水をきれいにしたい。
その想いを貫いて、進路を選んだ。

水俣病という悲劇を通じて、水と生命の大切なつながりを知り、「水をきれいにしたい」という想いを抱えて成長していった岸川。家業を継ぐべき年齢を迎えた。岸川は「もっと広い世界をみたい」と、先代から続いた父の家業を弟に託し、大学へ進学しある企業への就職を果たした。家業は、弟が継承することとなった。岸川が選んだ企業は「ドリコ株式会社」、水処理に関わる設備施工やエンジニアリングを行う企業である(現在は旭化成グループ企業)。「水をきれいにしたい」という想いが、形になったのだった。最初は技術担当で現場に立った。その後は本社に呼ばれてセールスエンジニア。英語に堪能であることが評価され、海外でのプロジェクトにも抜擢された。

会社が海外事業部を設立、サウジアラビアで設備施工の監督を務めたほか、JICAの水処理の専門家としてチームのメンバーにも名を連ね、発展途上国の水環境改善のプロジェクトに従事し、国内外の多くの友人を得た。例えば、ベトナム戦争の結果生まれたタイのベトナム難民キャンプでは、安全な飲料水が確保できず、環境汚染が拡大して、水因性による伝染病が広がっていた。飲み水の確保には水処理の専門家が必要となる。岸川の出番である。アフリカでは、干ばつに苦しむ地域住民と多くの水源を開発しマサイ族との親交も深めた。そのような経験を通じて、悲惨な状況にいる人たちを助けたい、もっと貢献できることがあるはず・・・という想いが、岸川の胸の内に募っていったのだった。
1989年(平成元年)、成和インターナショナル株式会社を設立。We Know Water、の表題を掲げ、水処理の専門家集団を起業する。最初の現場事務所に近かった町田に本社を構え、近隣の工業団地が排出する水処理設備や維持管理を担うこととなった。また、岸川の英語力を駆使し、米軍関連のプロジェクトも、大手ゼネコンなどが競合する中、直接米軍からの受注獲得に成功した。

岸川の想いは、社員みんなの想いへ。
ヘルス&ビューティ事業分野への
進出と拡大。

岸川の「もっと多くの人を助けたい」という想いは、水処理にとどまらず新たな事業分野への進出としても顕れた。ヘルス&ビューティの分野である。もともと、岸川は漢方薬に興味を持ってはいたものの、素人が簡単に手掛けられるようなものではない、と半ば諦めていた。しかし、ある幸運な出会いが岸川の想いの具現化を後押しする。キダチアロエエキスとの出会いである。アロエエキスを飲んだ人のアンケートによれば、その効果は如実に表れている。有機無農薬で栽培されているので、健康への心配もない。これだ!と確信した岸川は、アロエエキスを有機無農薬で栽培する園芸組合と販売契約を結ぶ。そして2002年、「太陽のアロエ社」というブランドで通販事業を開始した。その後、あるブロガーとの出会いがきっかけとなり、アロエエキスはスキンケアへの効用-ヘルスからビューティへと使途を広げていった。

ビューティ分野の事業拡大は、アロエエキスをよりグレードアップさせたいという想いから生まれる。
Something Special、ヒアルロン酸との出会いだ。
国内有名メーカーとの共同開発、試行錯誤の末に生まれたのが、
2007年にアットコスメ大賞のジェル・美容液部門で1位に輝いた、「ヒアルロン酸原液」である。

今や、岸川の想いは岸川ひとりのものならず、
全社員のものとして、事業そして会社の成長のエネルギーとして広がっている。

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